銀座ヨシノヤで靴を
ご購入いただいたそのときから、
お客様との長いお付き合いが
スタートするのです。
知る人ぞ知る紳士靴の名靴「銀座ヨシノヤ」。その魅力を探るべく、雑誌monoマガジンで40年以上編集に携わってきた編集者が、紳士靴のフロアリーダー、宮崎亨氏を訪ねた。
創業の歴史から銀座のカルチャー、そしてほんとうにいい靴の定義とは何かをその対話の中から探っていく。銀座の洒落者たちが愛した、オーダーを超える極上の履き心地。銀座ヨシノヤのハンドメイド靴には創業115年、老舗の矜持が詰まっていた。
土居輝彦(以下土居) ヨシノヤさんの中に入ったのは、僕は今日初めてなんですけれども。
銀座にこう来る機会っていうのも昔ほどはなくなってきて、住んでいるところからちょっと遠いっていうのもあるんですけれども。
でもやっぱりこう久々に来ても、銀座はやっぱり銀座だなっていうものがあって、雰囲気もあって。
今日この4丁目の角からヨシノヤさんの前まで歩いてくる中で、まだまだ残っている銀座の老舗というんですかね、
そういうものの中の一つがやっぱりヨシノヤさんっていうことは言えると思うんですけれども。
ヨシノヤさんは創業されて今もう何年ぐらいになるんですか?
宮崎亨(以下宮崎) 1907年に創業してますので、今年で115年になります。
明治40年ですね。
土居
明治40年って具体的にピンとこないですね。
その時代に僕は生きてなかったので分からないんですけども。
まあそう考えても要するに日本が文明開化して、それで洋服着るものが洋装に変わってきて。
宮崎 そうですね。そのころ日本は結構元気で、日清戦争日露戦争をやっていました。
そして、日露戦争が終了したのが1907年です。
その後、ロシアから賠償金を取れなくて、戦後不況に陥ってしまったと。
明治維新以降、日本が一生懸命急成長してきたところに、2回目のブレーキがかかった時期っていうそんな感じだと思いますね。
土居 ということは、需要としては普通の人が洋装をしていく中で履く靴っていうのもあったけども、それより以前に軍隊用の靴があったのかなというか。
宮崎 はい、最初は政治家や、軍人の偉い方々とか、いわゆるエリートと言われる方々しかまだ靴を履いていない、そんな時代だったんですね。
土居 宮崎さんお詳しいですね。
なるほどじゃあそういう中でヨシノヤさんが創業されて、
ヨシノヤさんというと何となくこうイメージとして婦人靴というイメージがあるんですけれども、最初から婦人靴というわけではなかったんですか?
宮崎 最初は紳士靴、子供靴の販売からスタートしています。
土居 最初は紳士靴からスタートされたわけですね。
宮崎 そうなんです。
現在の販売シェアは9割以上が婦人靴なので「紳士靴も取り扱ってるのね」と言われることがよくあります。
そのたびに、実は115年前に紳士靴から創業したんですとお話ししています。
土居 そういう風に考えていくと、銀座の靴屋さんとしては一番古い部類になるんですか。
宮崎 そうですね。かなり古い部類に入ると思います。
土居 ということは、銀座で他の業態をもっていらっしゃる旦那の方々達の足元をヨシノヤさんが飾ってきたっていう歴史があるわけですね。
もちろん政治家はそうですし、言っていいかどうかはあれですけど、皇室もそうでしょうし。
そういう意味での銀座のブランド、銀座の靴という物の形を作ってこられたのがヨシノヤさんということですね。
宮崎 今では銀座にある靴屋の中では一番古く、日本の靴の中で多分一番高級な靴を取り扱っていると思います。
それにプラスして、イージーオーダーや紳士靴の場合は靴型から作るんですけど、フルオーダーまでやってますので、そういった意味では一番ちゃんとした靴屋なのかなと。
(右下へ続く↘)
profile
土居 輝彦
teruhiko doi
1984年よりmonoマガジン編集長
2004年より同誌編集局長
2017年より同誌編集ディレクター
その間、数々の雑誌を創刊。FM cocoloへの情報提供、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、新潟県IDSデザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。主な著書:「機能する道具、傑作品」(グリーンアロー社刊)、「築35年古家再生」WPP刊)など
profile
宮崎 亨
toru miyazaki
1998年入社
長崎県出身
銀座六丁目本店3階紳士フロアのマネージャー
銀座四丁目店、小倉井筒屋店での店舗勤務、商品企画紳士靴担当を経て2014年より現職。
社内シューフィッター資格を保有。丁寧な足型計測により、足のサイズ・特徴を的確に捉えたフィッティング技術に定評。
お客様に寄り添った接客や親しみやすい人柄にファンも多い。
土居 今の僕らがやってるような雑誌なんかでは、もちろんヨシノヤさんの記事もやった事はありますけども、その普通の記事をやって行くにあたっては、まずブランドが立つじゃないですか。
海外のブランドもたくさんあって。
そのブランドのシューズっていうのが、みんなそのピンポイントでこのブランドの靴が欲しいっていう、どの靴が欲しいって靴を買って、みんな今靴を履いてるっていう中で、ヨシノヤさんの場合はオリジナルじゃないですか。
また、オリジナルであると同時に、いわゆるビスポークに近い手作りっていうのが一つの大きな魅力だと思うんですけれども、この手作りっていうのは創業当時から変わらないことなんでしょうか。
宮崎 昔は機械の方がむしろ少なく、手作りの方が多かったというのはありますね。
機械で作っている靴ももちろんありましたけど、創業者が「オーダーに負けない既製品作り」に執着していたので、手作りでオーダー靴に負けないような既製品というのを一生懸命作ってたという歴史があります。(注:熟練の手仕事で作られた既製品で、オーダー靴に負けない履き心地を追求していた。)
土居 手作りをしながら、オーダー品に負けないと。
宮崎 普通の既製品なんですけど、履き心地のレベルはオーダー靴に近いような靴を目指してたんだと思います。
創業者は靴職人ではなく、靴の目利きができる番頭だったということもあって、オーダーで靴を作るのではなく、既製品扱うところからスタートしています。
既製品を扱うということは、常に足に合う合わないという問題があり「どうやったら足に合うのだろう、どういう靴にしたら足に合うんだろう」と創業以来ずっと考え続けていたそうです。
そこからヨシノヤの履き心地というものをずっと追求し始めるきっかけになったんじゃないかと思います。
おそらく創業者が靴職人だったら、ここまで履き心地を追求してなかったのかもしれないですね。
土居 それはちょっと面白いことですね。
宮崎 靴職人じゃなかったっていうコンプレックスみたいなのがひょっとしたらあったようで、負けないぞみたいな。
土居 でも、本質を探求する形としては正しかった訳ですね。
宮崎 そうですね。その心意気は現在も、正しい靴作りから、どういう風にしたら靴が履きやすくなるのかという事と、どうやって足合わせを行ったらいいのかという事を、ずっと追求し続けてきています。
正しい靴作りと、きちんとした足合わせという2つがあって、今の銀座ヨシノヤがあるのかなと感じています。
土居 なるほど。ということは、銀座に通う紳士たちはヨシノヤで靴を作るっていうのは、単にブランドのどの靴を買うというような靴の買い方ではなくて、
自分の足に合った靴をどうオーダーしてもらうかっていうようなスタンスっていうのが文化としてあるわけですね。
宮崎 そんな感じのお客様は多いですね。
今もよくあるのは、なんというか、
靴職人の腕を試すというのではないと思うんですけど、こんなことってオーダーでできますか?と色々と尋ねられるお客様がいらっしゃいます。
それに対して、うちの職人に確認すると、それならばこうできますと返ってくる。
結局お客様から言われたことはほぼほぼ形にはできてるので、本当にお客さんと職人が戦ってるっという感じです。
戦いながらいいものを作り上げていってるみたいな感じがあります。
土居 いいですね。何か今のお話でちょっと思い出したんですけど。
ヨーロッパって王侯貴族がいるじゃないですか。ヨーロッパで発祥しているブランドの多くが、
その王侯貴族がパトロネージュしてパトロンとなってブランドを育てていったっていう話があるんですよね。
しかし江戸時代の日本は王侯貴族の時代ではなかった。じゃあ武士かといったら武士はそんなに裕福ではなかった。
武士より豊かだった人は誰かと言ったら、これは商人だったわけです。
日本の職人を育てたのは、ヨーロッパは職人を育てのるが王侯貴族だったのに対して、日本はやっぱり町場の旦那衆が日本の職人を育てていたのではないか。
で、たとえば根付(ねつけ:煙草入れの飾り)の職人に「こういう柄模様の根付をお前さん作れるかい」みたいな。
そういう風に言われたら、職人もカチンときて「じゃぁ、作ってやろうじゃねぇか!」っていうやりとりがあったかもしれない。
ここは想像ですよ。僕は江戸時代に生きていたわけじゃないから分からないけれども、
でもそうやってやっぱりいいものがどんどんできてきたっていうのは間違いないことだと思うんですよ。
宮崎 何かその感じに近い形ですね。
土居 だから日本は昔から江戸の時代から、町場の旦那衆がそういうことやっていた。今のお客さんたちの中にも旦那気質を持つ人がいて、それをヨーロッパに置き換えたら、パトロンになるわけです。
だから、そういう関係性がこのヨシノヤさんという靴のこの売り場で残っているっていうのは、とても素敵な状況なんじゃないかなという。
宮崎 普段店頭に立ってる時はそこまであまり気にしてなかったんですけど、改めて考えるとすごいことですよね。
土居 でも、やっぱりそうやって職人さんを試すような。こうまあ無理難題といってはあれだけど。
でもやっぱりそれは自分の好みがあるわけですから、その好みにどれだけ近づいてくれるか、それを実現してくれるかということになるわけですよね。
宮崎 はい。本当にうちの職人たちはすごいので、大体全部やってしまうというか、できちゃうっていうかすごいんですよね。
ヨシノヤがすごいのか、職人がすごいのか。
土居 どちらもすごいんですけど、ということですよ。
まあ、そういう何とかお客さんのニーズに沿った靴をハンドで作っていくと。
同時にそう、やっぱり決して安い靴じゃないですから長く履くわけじゃないですか。
そうすると必然的にリペアっていうのも生まれてくると思うんですけど、リペアもやっぱり。
宮崎 修理もやってますね。
靴を作った靴職人たちが直接修理もやりますので、修理の質が高いんですよね。
最近感じるのは、修理というよりも修復をやってるみたいな感じの仕事だと思うんですよ。
かかとのゴムさえお取り換えすればいいんでしょうみたいな感じとは違い、その前にやる段取りから何から本当に新しい靴に作り替えるぐらいの感じで、本当に価格以上のことを職人たちはやってくるんです。
ほんとに職人の仕事ってなんかすごいなとつくづく思います。
土居 お客様の満足度は高いですよね。
宮崎 そうですね。靴を作る腕が高い人たちは、修理をやっても、やっぱりものすごい仕事をしてきますね。
土居 ヨシノヤさんのホームページを見て、それからヨシノヤさんのことを取材したメディアの記事とか情報をお聞きしても、なかなかそういう話はないと思うんで、
何かお客さんの仮にその修理を出されて何かいい話って何かないですか。
宮崎 そうですね。お客様がダメもとで修理に持ってこられた靴があって、私が見てもさすがに修理できないかもしれないと思いながらも、お預かりしました。
すると、職人に回したら何も言わずに綺麗に修理されて戻ってきたことがありました。
普通に考えたらまあ、できないだろうっていう修理をしてくるんです。
職人に後から聞いたんですが、修理に出すということは、その方はその靴をまだ履きたいと考えてるんだろう、だったら修理をしようと。
土居 心意気ですね。
宮崎 はい、心意気がすごいんですよ。びっくりするぐらい。
修理できないと思ってた靴が修理されて返ってきたことは、本当に1回や2回じゃないんですよね。
我々も昔はこれは駄目ですよ。みたいなことを言ってた修理も、今ではこれとりあえず出しましょうかって、ひょっとしたら修理できるかもしれないですよみたいな感じになっています。
土居 それじゃ宮崎さんの方も職人さんの腕がもうわかってるから。普通は駄目だけども、もしかしたら、ヨシノヤの職人なら何とかしてくれるんじゃないかっていう、その判断がもうあるわけですよね。
宮崎 自分たちの判断よりもすごいことやっちゃうっていう感じなので、最近は自分たちで判断しない方がいいのかなって思っています。
職人さんに投げちゃうと修理してくれちゃうっていう、ああ、返ってきたみたいな感じです。
土居 ということは、やっぱりその、銀座で靴を買うっていうのは、そういう後の修理というか、
保証というか、そういうものも含めた一つのシステムを買うっていうことになっていくわけですかね。
宮崎 ですね。ヨシノヤは本当に生真面目な会社なので、売ったら終わりじゃないんですよね。
靴の調整とか幅伸ばしだとか、お手入れだとか修理とか、買っていただいた時からお客様とのお付き合いがスタートしていくみたいな感じです。
そういったアフターフォローもコミコミでの価格になってると考えると、むしろお買い得なのかもしれません。
土居 またこの後、その細かい職人さんの技みたいなことも聞きたいと思いますけども。
まあ、その銀座で靴を買うような意味合いっていうのがですね、はい、何となくちょっと今日のお話で感じることができました。
ありがとうございます。
銀座ヨシノヤで靴を
ご購入いただいたそのときから、
お客様との長いお付き合いが
スタートするのです。
知る人ぞ知る紳士靴の名靴「銀座ヨシノヤ」。その魅力を探るべく、雑誌monoマガジンで40年以上編集に携わってきた編集者が、紳士靴のフロアリーダー、宮崎亨氏を訪ねた。
創業の歴史から銀座のカルチャー、そしてほんとうにいい靴の定義とは何かをその対話の中から探っていく。銀座の洒落者たちが愛した、オーダーを超える極上の履き心地。銀座ヨシノヤのハンドメイド靴には創業115年、老舗の矜持が詰まっていた。
土居輝彦(以下土居) ヨシノヤさんの中に入ったのは、僕は今日初めてなんですけれども。
銀座にこう来る機会っていうのも昔ほどはなくなってきて、住んでいるところからちょっと遠いっていうのもあるんですけれども。
でもやっぱりこう久々に来ても、銀座はやっぱり銀座だなっていうものがあって、雰囲気もあって。
今日この4丁目の角からヨシノヤさんの前まで歩いてくる中で、まだまだ残っている銀座の老舗というんですかね、
そういうものの中の一つがやっぱりヨシノヤさんっていうことは言えると思うんですけれども。
ヨシノヤさんは創業されて今もう何年ぐらいになるんですか?
宮崎亨(以下宮崎) 1907年に創業してますので、今年で115年になります。
明治40年ですね。
土居
明治40年って具体的にピンとこないですね。
その時代に僕は生きてなかったので分からないんですけども。
まあそう考えても要するに日本が文明開化して、それで洋服着るものが洋装に変わってきて。
宮崎 そうですね。そのころ日本は結構元気で、日清戦争日露戦争をやっていました。
そして、日露戦争が終了したのが1907年です。
その後、ロシアから賠償金を取れなくて、戦後不況に陥ってしまったと。
明治維新以降、日本が一生懸命急成長してきたところに、2回目のブレーキがかかった時期っていうそんな感じだと思いますね。
土居 ということは、需要としては普通の人が洋装をしていく中で履く靴っていうのもあったけども、それより以前に軍隊用の靴があったのかなというか。
宮崎 はい、最初は政治家や、軍人の偉い方々とか、いわゆるエリートと言われる方々しかまだ靴を履いていない、そんな時代だったんですね。
土居 宮崎さんお詳しいですね。
なるほどじゃあそういう中でヨシノヤさんが創業されて、
ヨシノヤさんというと何となくこうイメージとして婦人靴というイメージがあるんですけれども、最初から婦人靴というわけではなかったんですか?
宮崎 最初は紳士靴、子供靴の販売からスタートしています。
土居 最初は紳士靴からスタートされたわけですね。
宮崎 そうなんです。
現在の販売シェアは9割以上が婦人靴なので「紳士靴も取り扱ってるのね」と言われることがよくあります。
そのたびに、実は115年前に紳士靴から創業したんですとお話ししています。
土居 そういう風に考えていくと、銀座の靴屋さんとしては一番古い部類になるんですか。
宮崎 そうですね。かなり古い部類に入ると思います。
土居 ということは、銀座で他の業態をもっていらっしゃる旦那の方々達の足元をヨシノヤさんが飾ってきたっていう歴史があるわけですね。
もちろん政治家はそうですし、言っていいかどうかはあれですけど、皇室もそうでしょうし。
そういう意味での銀座のブランド、銀座の靴という物の形を作ってこられたのがヨシノヤさんということですね。
宮崎 今では銀座にある靴屋の中では一番古く、日本の靴の中で多分一番高級な靴を取り扱っていると思います。
それにプラスして、イージーオーダーや紳士靴の場合は靴型から作るんですけど、フルオーダーまでやってますので、そういった意味では一番ちゃんとした靴屋なのかなと。
土居 今の僕らがやってるような雑誌なんかでは、もちろんヨシノヤさんの記事もやった事はありますけども、その普通の記事をやって行くにあたっては、まずブランドが立つじゃないですか。
海外のブランドもたくさんあって。
そのブランドのシューズっていうのが、みんなそのピンポイントでこのブランドの靴が欲しいっていう、どの靴が欲しいって靴を買って、みんな今靴を履いてるっていうっていう中で、ヨシノヤさんの場合はオリジナルじゃないですか。
また、オリジナルであると同時に、いわゆるビスポークに近い手作りいっていうのが一つの大きな魅力だと思うんですけれども、この手作りっていうのは創業当時から変わらないことなんでしょうか。
宮崎 昔は機械の方がむしろ少なく、手作りの方が多かったというのはありますね。
機械で作っている靴ももちろんありましたけど、創業者が「オーダーに負けない既製品作り」に執着していたので、手作りでオーダー靴に負けないような既製品というのを一生懸命作ってたという歴史があります。
注:熟練の手仕事で作られた既製品で、オーダー靴に負けない履き心地を追求していた。
土居 手作りをしながら、オーダーの既製品に負けないと。
宮崎 普通の既製品なんですけど、履き心地のレベルはオーダー靴に近いような靴を目指してたんだと思います。
創業者は靴職人ではなく、靴の目利きができる番頭だったということもあって、オーダーで靴を作るのではなく、既製品扱うところからスタートしています。
既製品を扱うということは、常に足に合う合わないという問題があり「どうやったら足に合うのんだろう、どういう靴にしたら足に合うんだろう」と創業以来ずっと考え続けていたそうです。
そこからヨシノヤの履き心地というものをずっと追求し始めるきっかけになったんじゃないかと思います。
おそらく創業者が靴職人だったら、ここまで履き心地を追求してなかったのかもしれないでね。
土居 それはちょっと面白いことですね。
宮崎 靴職人じゃなかったっていうコンプレックスみたいなのがひょっとしたらあったようで、負けないぞみたいな。
土居 でも、本質を探求する形としては正しかった訳ですね。
宮崎 そうですね。その心意気は現在も、正しい靴作りから、どういう風にしたら靴が履きやすくなるのかという事と、どうやって足合わせを行ったらいいのかという事を、ずっと追求し続けてきています。
正しい靴作りと、きちんとした足合わせという2つがあって、今の銀座ヨシノヤがあるのかなと感じています。
土居 なるほど。ということは、銀座に通う紳士たちはヨシノヤで靴を作るっていうのは、単にブランドのどの靴を買うというような靴の買い方ではなくて、
自分の足に合った靴をどうオーダーしてもらうかっていうようなスタンスっていうのが文化としてあるわけですね。
宮崎 そんな感じのお客様は多いですね。
今もよくあるのは、なんというか、
靴職人の腕を試すというのではないと思うんですけど、こんなことってオーダーでできますか?と色々と尋ねられるお客様がいらっしゃいます。
それに対して、うちの職人に確認すると、それならばこうできますと返ってくる。
結局お客様から言われたことはほぼほぼ形にはできてるので、本当にお客さんと職人が戦ってるっという感じです。
戦いながらいいものを作り上げていってるみたいな感じがあります。
土居 いいですね。何か今のお話でちょっと思い出したんですけど。
ヨーロッパって王侯貴族がいるじゃないですか。ヨーロッパで発祥しているブランドの多くが、
その王侯貴族がパトロネージュしてパトロンとなってブランドを育てていったっていう話があるんですよね。
しかし江戸時代の日本は王侯貴族の時代ではなかった。じゃあ武士かといったら武士はそんなに裕福ではなかった。
武士より豊かだった人は誰かと言ったら、これは商人だったわけです。
日本の職人を育てたのは、ヨーロッパが職人を育てるが王侯貴族だったのに対して、日本はやっぱり町場の旦那衆が日本の職人を育てていたのではないか。
で、たとえば根付(ねつけ:煙草入れの飾り)の職人に「こういう柄模様の根付お前さん作れるかい」みたいな。
そういう風に言われたら、職人もカチンときて「じゃぁ、作ってやろうじゃねぇか!」っていうやりとりがあったかもしれない。
ここは想像ですよ。僕は江戸時代に生きていたわけじゃないから分からないけれども、
でもそうやってやっぱりいいものがどんどんできてきたっていうのは間違いないことだと思うんですよ。
宮崎 何かその感じに近い形です ね。
土居 だから日本は昔から江戸の時代から、町場の旦那衆がそういうことやっていた。だから今のお客さんたちの中にも旦那気質を持つ人がいて、それをヨーロッパに置き換えたら、パトロンになるわけです。
だから、そういう関係性がこのヨシノヤさんという靴のこの売り場で残っているっていうのは、とても素敵な状況なんじゃないかなという。
宮崎 普段店頭に立ってる時はそこまであまり気にしてなかったんですけど、改めて考えるとすごいことですよね。
土居 でも、やっぱりそうやって職人さんを試すような。こうまあ無理難題といってはあれだけど。
でもやっぱりそれは自分の好みがあるわけですから、その好みにどれだけ近づいてくれるか、それを実現してくれるかということになるわけですよね。
宮崎 はい。本当にうちの職人たちはすごいので、大体全部やってしまうというか、できちゃうっていうかすごいんですよね。
ヨシノヤがすごいのか、職人がすごいのか。
土居 どちらもすごいんですけど、ということですよ。
まあ、そういう何とかお客さんのニーズに沿った靴をハンドで作れないから、作っていくと。
同時にそう、やっぱり決して安い靴じゃないですから長く履くわけじゃないですか。
そうすると必然的にリペアっていうのも生まれてくると思うんですけど、リペアもやっぱり。
宮崎 修理もやってますね。
靴を作った靴職人たちが直接修理もやりますので、修理の質が高いんですよね。
最近感じるのは、修理というよりも修復をやってるみたいな感じの仕事だと思うんですよ。
かかとのゴムさえお取り換えすればいいんでしょうみたいな感じとは違い、その前にやる段取りから何から本当に新しい靴に作り替えるぐらいの感じで、本当に価格以上のことを職人達はやってくるんです。
ほんとに職人の仕事ってなんかすごいなとつくづく思います。
土居 お客様の満足度は高いですよね。
宮崎 そうですね。靴を作る腕が高い人達は、修理をやっても、やっぱりものすごい仕事をしてきますね。
土居 ヨシノヤさんのホームページを見て、それからヨシノヤさんのことを取材したメディアの記事とか情報をお聞きしても、なかなかそういう話はないと思うんで、
何かお客さんの仮にその修理を出されて何かいい話って何かないですか。
宮崎 そうですね。お客様がダメもとで修理に持ってこられた靴があって、私が見てもさすがに修理できないかもしれないと思いながらも、お預かりしました。
すると、職人に回したら何も言わずに綺麗に修理されて戻ってきたことがありました。
普通に考えたらまあ、できないだろうっていう修理をしてくるしてくるんです。
職人に後から聞いたんですが、修理に出すということは、その方はその靴をまだ履きたいと考えてるんだろう、だったら修理をしようと。
土居 心意気ですね。
宮崎 はい、心意気がすごいんですよ。びっくりするぐらい。
修理できないと思ってた靴が修理されて返ってきたことは、本当に1回や2回じゃないんですよね。
我々も昔はこれは駄目ですよ。みたいなことを言ってた修理も、今ではこれとりあえず出しましょうかって、ひょっとしたら修理できるかもしれないですよみたいな感じになっています。
土居 それじゃ宮崎さんの方も職人さんの腕がもうわかってるから。普通は駄目だけども、もしかしたら、ヨシノヤの職人なら何とかしてくれるんじゃないかっていう、その判断がもうあるわけですよね。
宮崎 自分達の判断よりもすごいことやっちゃうっていう感じなので、最近は自分達で判断しない方がいいのかなって思っています。
職人さんに投げちゃうと修理してくれちゃうっていう、ああ、返ってきたみたいな感じです。
土居 ということは、やっぱりその、銀座で靴を買うっていうのは、そういう後の修理というか、
保証というか、そういうものも含めた一つのシステムを買うっていうことになっていくわけですかね。
宮崎 ですね。ヨシノヤは本当に生真面目な会社なので、売ったら終わりじゃないんですよね。
靴の調整とか幅伸ばしだとか、お手入れだとか修理とか、買っていただいた時からお客様とのお付き合いがスタートしていくみたいな感じです。
そういったアフターフォローもコミコミでの価格になってると考えると、むしろお買い得なのかもしれません。
土居 またこの後、その細かい職人さんの技みたいなことも聞きたいと思いますけども。
まあ、その銀座で靴を買うような意味合いっていうのがですね、はい、何となくちょっと今日のお話で感じることができました。
ありがとうございます。
profile
土居 輝彦
teruhiko doi
1984年よりmonoマガジン編集長
2004年より同誌編集局長
2017年より同誌編集ディレクター
その間、数々の雑誌を創刊。
FM cocoloへの情報提供、執筆・講演活動、大学講師、各自治体のアドバイザー、新潟県IDSデザインコンペティション審査委員などを現在兼任中。
主な著書:「機能する道具、傑作品」(グリーンアロー社刊)、「築35年古家再生」WPP刊)など
profile
宮崎 亨
toru miyazaki
1998年入社
長崎県出身
銀座六丁目本店3階紳士フロアのマネージャー
銀座四丁目店、小倉井筒屋店での店舗勤務、商品企画紳士靴担当を経て2014年より現職。
社内シューフィッター資格を保有。丁寧な足型計測により、足のサイズ・特徴を的確に捉えたフィッティング技術に定評。
お客様に寄り添った接客や親しみやすい人柄にファンも多い。
銀座ヨシノヤで靴を
ご購入いただいたそのときから、
お客様との長いお付き合いが
スタートするのです。
知る人ぞ知る紳士靴の名靴「銀座ヨシノヤ」。その魅力を探るべく、雑誌monoマガジンで40年以上編集に携わってきた編集者が、紳士靴のフロアリーダー、宮崎亨氏を訪ねた。
創業の歴史から銀座のカルチャー、そしてほんとうにいい靴の定義とは何かをその対話の中から探っていく。銀座の洒落者たちが愛した、オーダーを超える極上の履き心地。銀座ヨシノヤのハンドメイド靴には創業115年、老舗の矜持が詰まっていた。
土居輝彦(以下土居) ヨシノヤさんの中に入ったのは、僕は今日初めてなんですけれども。 銀座にこう来る機会っていうのも昔ほどはなくなってきて、住んでいるところからちょっと遠いっていうのもあるんですけれども。 でもやっぱりこう久々に来ても、銀座はやっぱり銀座だなっていうものがあって、雰囲気もあって。 今日この4丁目の角からヨシノヤさんの前まで歩いてくる中で、まだまだ残っている銀座の老舗というんですかね、 そういうものの中の一つがやっぱりヨシノヤさんっていうことは言えると思うんですけれども。 ヨシノヤさんは創業されて今もう何年ぐらいになるんですか?
宮崎亨(以下宮崎) 1907年に創業してますので、今年で115年になります。 明治40年ですね。
土居 明治40年って具体的にピンとこないですね。 その時代に僕は生きてなかったので分からないんですけども。 まあそう考えても要するに日本が文明開化して、それで洋服着るものが洋装に変わってきて。
宮崎 そうですね。そのころ日本は結構元気で、日清戦争日露戦争をやっていました。 そして、日露戦争が終了したのが1907年です。 その後、ロシアから賠償金を取れなくて、戦後不況に陥ってしまったと。 明治維新以降、日本が一生懸命急成長してきたところに、2回目のブレーキがかかった時期っていうそんな感じだと思いますね。
土居 ということは、需要としては普通の人が洋装をしていく中で履く靴っていうのもあったけども、それより以前に軍隊用の靴があったのかなというか。
宮崎 はい、最初は政治家や、軍人の偉い方々とか、いわゆるエリートと言われる方々しかまだ靴を履いていない、そんな時代だったんですね。
土居 宮崎さんお詳しいですね。 なるほどじゃあそういう中でヨシノヤさんが創業されて、 ヨシノヤさんというと何となくこうイメージとして婦人靴というイメージがあるんですけれども、最初から婦人靴というわけではなかったんですか?
宮崎 最初は紳士靴、子供靴の販売からスタートしています。
土居 最初は紳士靴からスタートされたわけですね。
宮崎 そうなんです。 現在の販売シェアは9割以上が婦人靴なので「紳士靴も取り扱ってるのね」と言われることがよくあります。 そのたびに、実は115年前に紳士靴から創業したんですとお話ししています。
土居 そういう風に考えていくと、銀座の靴屋さんとしては一番古い部類になるんですか。
宮崎 そうですね。かなり古い部類に入ると思います。
土居 ということは、銀座で他の業態をもっていらっしゃる旦那の方々達の足元をヨシノヤさんが飾ってきたっていう歴史があるわけですね。 もちろん政治家はそうですし、言っていいかどうかはあれですけど、皇室もそうでしょうし。 そういう意味での銀座のブランド、銀座の靴という物の形を作ってこられたのがヨシノヤさんということですね。
宮崎 今では銀座にある靴屋の中では一番古く、日本の靴の中で多分一番高級な靴を取り扱っていると思います。 それにプラスして、イージーオーダーや紳士靴の場合は靴型から作るんですけど、フルオーダーまでやってますので、そういった意味では一番ちゃんとした靴屋なのかなと。
(右下へ続く↘)
profile
土居 輝彦
teruhiko doi
1984年よりmonoマガジン編集長
2004年より同誌編集局長
2017年より同誌編集ディレクター
その間、数々の雑誌を創刊。
執筆・講演活動、各自治体のアドバイザーなどを兼任。
主な著書:「機能する道具、傑作品」(グリーンアロー社刊)、「築35年古家再生」(WPP刊)など
profile
宮崎 亨
toru miyazaki
銀座六丁目本店紳士フロアマネージャー
1998年入社後、店舗勤務~紳士靴商品企画を経て2014年より現職。
社内シューフィッター資格を保有。丁寧な足型計測により、足のサイズ・特徴を的確に捉えたフィッティング技術に定評。
お客様に寄り添った接客や親しみやすい人柄にファンも多い。
土居 今の僕らがやってるような雑誌なんかでは、もちろんヨシノヤさんの記事もやった事はありますけども、その普通の記事をやって行くにあたっては、まずブランドが立つじゃないですか。 海外のブランドもたくさんあって。 そのブランドのシューズっていうのが、みんなそのピンポイントでこのブランドの靴が欲しいっていう、どの靴が欲しいって靴を買って、みんな今靴を履いてるっていう中で、ヨシノヤさんの場合はオリジナルじゃないですか。 また、オリジナルであると同時に、いわゆるビスポークに近い手作りっていうのが一つの大きな魅力だと思うんですけれども、この手作りっていうのは創業当時から変わらないことなんでしょうか。
宮崎 昔は機械の方がむしろ少なく、手作りの方が多かったというのはありますね。 機械で作っている靴ももちろんありましたけど、創業者が「オーダーに負けない既製品作り」に執着していたので、手作りでオーダー靴に負けないような既製品というのを一生懸命作ってたという歴史があります。( 注:熟練の手仕事で作られた既製品で、オーダー靴に負けない履き心地を追求していた。)
土居 手作りをしながら、オーダー品に負けないと。
宮崎 普通の既製品なんですけど、履き心地のレベルはオーダー靴に近いような靴を目指してたんだと思います。 創業者は靴職人ではなく、靴の目利きができる番頭だったということもあって、オーダーで靴を作るのではなく、既製品扱うところからスタートしています。 既製品を扱うということは、常に足に合う合わないという問題があり「どうやったら足に合うのだろう、どういう靴にしたら足に合うんだろう」と創業以来ずっと考え続けていたそうです。 そこからヨシノヤの履き心地というものをずっと追求し始めるきっかけになったんじゃないかと思います。 おそらく創業者が靴職人だったら、ここまで履き心地を追求してなかったのかもしれないですね。
土居 それはちょっと面白いことですね。
宮崎 靴職人じゃなかったっていうコンプレックスみたいなのがひょっとしたらあったようで、負けないぞみたいな。
土居 でも、本質を探求する形としては正しかった訳ですね。
宮崎 そうですね。その心意気は現在も、正しい靴作りから、どういう風にしたら靴が履きやすくなるのかという事と、どうやって足合わせを行ったらいいのかという事を、ずっと追求し続けてきています。 正しい靴作りと、きちんとした足合わせという2つがあって、今の銀座ヨシノヤがあるのかなと感じています。
土居 なるほど。ということは、銀座に通う紳士たちはヨシノヤで靴を作るっていうのは、単にブランドのどの靴を買うというような靴の買い方ではなくて、自分の足に合った靴をどうオーダーしてもらうかっていうようなスタンスっていうのが文化としてあるわけですね。
宮崎 そんな感じのお客様は多いですね。 今もよくあるのは、なんというか、 靴職人の腕を試すというのではないと思うんですけど、こんなことってオーダーでできますか?と色々と尋ねられるお客様がいらっしゃいます。 それに対して、うちの職人に確認すると、それならばこうできますと返ってくる。 結局お客様から言われたことはほぼほぼ形にはできてるので、本当にお客さんと職人が戦ってるっという感じです。 戦いながらいいものを作り上げていってるみたいな感じがあります。
土居 いいですね。何か今のお話でちょっと思い出したんですけど。
ヨーロッパって王侯貴族がいるじゃないですか。ヨーロッパで発祥しているブランドの多くが、
その王侯貴族がパトロネージュしてパトロンとなってブランドを育てていったっていう話があるんですよね。
しかし江戸時代の日本は王侯貴族の時代ではなかった。じゃあ武士かといったら武士はそんなに裕福ではなかった。
武士より豊かだった人は誰かと言ったら、これは商人だったわけです。
日本の職人を育てたのは、ヨーロッパは職人を育てるのが王侯貴族だったのに対して、日本はやっぱり町場の旦那衆が日本の職人を育てていたのではないか。
で、たとえば根付(ねつけ:煙草入れの飾り)の職人に「こういう柄模様の根付お前さん作れるかい」みたいな。
そういう風に言われたら、職人もカチンときて「じゃぁ、作ってやろうじゃねぇか!」っていうやりとりがあったかもしれない。
ここは想像ですよ。僕は江戸時代に生きていたわけじゃないから分からないけれども、
でもそうやってやっぱりいいものがどんどんできてきたっていうのは間違いないことだと思うんですよ。
宮崎 何かその感じに近い形ですね。
土居 だから日本は昔から江戸の時代から、町場の旦那衆がそういうことやっていた。今のお客さんたちの中にも旦那気質を持つ人がいて、それをヨーロッパに置き換えたら、パトロンになるわけです。
だから、そういう関係性がこのヨシノヤさんという靴のこの売り場で残っているっていうのは、とても素敵な状況なんじゃないかなという。
宮崎 普段店頭に立ってる時はそこまであまり気にしてなかったんですけど、改めて考えるとすごいことですよね。
土居 でも、やっぱりそうやって職人さんを試すような。こうまあ無理難題といってはあれだけど。 でもやっぱりそれは自分の好みがあるわけですから、その好みにどれだけ近づいてくれるか、それを実現してくれるかということになるわけですよね。
宮崎 はい。本当にうちの職人たちはすごいので、大体全部やってしまうというか、できちゃうっていうかすごいんですよね。 ヨシノヤがすごいのか、職人がすごいのか。
土居 どちらもすごいんですけど、ということですよ。 まあ、そういう何とかお客さんのニーズに沿った靴をハンドで作っていくと。 同時にそう、やっぱり決して安い靴じゃないですから長く履くわけじゃないですか。 そうすると必然的にリペアっていうのも生まれてくると思うんですけど、リペアもやっぱり。
宮崎 修理もやってますね。 靴を作った靴職人たちが直接修理もやりますので、修理の質が高いんですよね。 最近感じるのは、修理というよりも修復をやってるみたいな感じの仕事だと思うんですよ。 かかとのゴムさえお取り換えすればいいんでしょうみたいな感じとは違い、その前にやる段取りから何から本当に新しい靴に作り替えるぐらいの感じで、本当に価格以上のことを職人たちはやってくるんです。 ほんとに職人の仕事ってなんかすごいなとつくづく思います。
土居 お客様の満足度は高いですよね。
宮崎 そうですね。靴を作る腕が高い人たちは、修理をやっても、やっぱりものすごい仕事をしてきますね。
土居 ヨシノヤさんのホームページを見て、それからヨシノヤさんのことを取材したメディアの記事とか情報をお聞きしても、なかなかそういう話はないと思うんで、
何かお客さんの仮にその修理を出されて何かいい話って何かないですか。
宮崎 そうですね。お客様がダメもとで修理に持ってこられた靴があって、私が見てもさすがに修理できないかもしれないと思いながらも、お預かりしました。 すると、職人に回したら何も言わずに綺麗に修理されて戻ってきたことがありました。 普通に考えたらまあ、できないだろうっていう修理をしてくるんです。 職人に後から聞いたんですが、修理に出すということは、その方はその靴をまだ履きたいと考えてるんだろう、だったら修理をしようと。
土居 心意気ですね。
宮崎 はい、心意気がすごいんですよ。びっくりするぐらい。 修理できないと思ってた靴が修理されて返ってきたことは、本当に1回や2回じゃないんですよね。 我々も昔はこれは駄目ですよ。みたいなことを言ってた修理も、今ではこれとりあえず出しましょうかって、ひょっとしたら修理できるかもしれないですよみたいな感じになっています。
土居 それじゃ宮崎さんの方も職人さんの腕がもうわかってるから。普通は駄目だけども、もしかしたら、ヨシノヤの職人なら何とかしてくれるんじゃないかっていう、その判断がもうあるわけですよね。
宮崎 自分たちの判断よりもすごいことやっちゃうっていう感じなので、最近は自分たちで判断しない方がいいのかなって思っています。 職人さんに投げちゃうと修理してくれちゃうっていう、ああ、返ってきたみたいな感じです。
土居 ということは、やっぱりその、銀座で靴を買うっていうのは、そういう後の修理というか、 保証というか、そういうものも含めた一つのシステムを買うっていうことになっていくわけですかね。
宮崎 ですね。ヨシノヤは本当に生真面目な会社なので、売ったら終わりじゃないんですよね。 靴の調整とか幅伸ばしだとか、お手入れだとか修理とか、買っていただいた時からお客様とのお付き合いがスタートしていくみたいな感じです。 そういったアフターフォローもコミコミでの価格になってると考えると、むしろお買い得なのかもしれません。
土居 またこの後、その細かい職人さんの技みたいなことも聞きたいと思いますけども。
まあ、その銀座で靴を買うような意味合いっていうのがですね、はい、何となくちょっと今日のお話で感じることができました。
ありがとうございます。
銀座ヨシノヤで靴を
ご購入いただいたそのときから、
お客様との長いお付き合いが
スタートするのです。
知る人ぞ知る紳士靴の名靴「銀座ヨシノヤ」。その魅力を探るべく、雑誌monoマガジンで40年以上編集に携わってきた編集者が、紳士靴のフロアリーダー、宮崎亨氏を訪ねた。
創業の歴史から銀座のカルチャー、そしてほんとうにいい靴の定義とは何かをその対話の中から探っていく。銀座の洒落者たちが愛した、オーダーを超える極上の履き心地。銀座ヨシノヤのハンドメイド靴には創業115年、老舗の矜持が詰まっていた。
profile
土居 輝彦
teruhiko doi
1984年よりmonoマガジン編集長
2004年より同誌編集局長
2017年より同誌編集ディレクター
その間、数々の雑誌を創刊。
執筆・講演活動、各自治体のアドバイザーなどを兼任。
主な著書:「機能する道具、傑作品」(グリーンアロー社刊)、「築35年古家再生」(WPP刊)など
profile
宮崎 亨
toru miyazaki
銀座六丁目本店紳士フロアマネージャー
1998年入社後、店舗勤務~紳士靴商品企画を経て2014年より現職。
社内シューフィッター資格を保有。丁寧な足型計測により、足のサイズ・特徴を的確に捉えたフィッティング技術に定評。
お客様に寄り添った接客や親しみやすい人柄にファンも多い。
土居輝彦(以下土居) ヨシノヤさんの中に入ったのは、僕は今日初めてなんですけれども。 銀座にこう来る機会っていうのも昔ほどはなくなってきて、住んでいるところからちょっと遠いっていうのもあるんですけれども。 でもやっぱりこう久々に来ても、銀座はやっぱり銀座だなっていうものがあって、雰囲気もあって。 今日この4丁目の角からヨシノヤさんの前まで歩いてくる中で、まだまだ残っている銀座の老舗というんですかね、 そういうものの中の一つがやっぱりヨシノヤさんっていうことは言えると思うんですけれども。 ヨシノヤさんは創業されて今もう何年ぐらいになるんですか?
宮崎亨(以下宮崎) 1907年に創業してますので、今年で115年になります。 明治40年ですね。
土居 明治40年って具体的にピンとこないですね。 その時代に僕は生きてなかったので分からないんですけども。 まあそう考えても要するに日本が文明開化して、それで洋服着るものが洋装に変わってきて。
宮崎 そうですね。そのころ日本は結構元気で、日清戦争日露戦争をやっていました。 そして、日露戦争が終了したのが1907年です。 その後、ロシアから賠償金を取れなくて、戦後不況に陥ってしまったと。 明治維新以降、日本が一生懸命急成長してきたところに、2回目のブレーキがかかった時期っていうそんな感じだと思いますね。
土居 ということは、需要としては普通の人が洋装をしていく中で履く靴っていうのもあったけども、それより以前に軍隊用の靴があったのかなというか。
宮崎 はい、最初は政治家や、軍人の偉い方々とか、いわゆるエリートと言われる方々しかまだ靴を履いていない、そんな時代だったんですね。
土居 宮崎さんお詳しいですね。 なるほどじゃあそういう中でヨシノヤさんが創業されて、 ヨシノヤさんというと何となくこうイメージとして婦人靴というイメージがあるんですけれども、最初から婦人靴というわけではなかったんですか?
宮崎 最初は紳士靴、子供靴の販売からスタートしています。
土居 最初は紳士靴からスタートされたわけですね。
宮崎 そうなんです。 現在の販売シェアは9割以上が婦人靴なので「紳士靴も取り扱ってるのね」と言われることがよくあります。 そのたびに、実は115年前に紳士靴から創業したんですとお話ししています。
土居 そういう風に考えていくと、銀座の靴屋さんとしては一番古い部類になるんですか。
宮崎 そうですね。かなり古い部類に入ると思います。
土居 ということは、銀座で他の業態をもっていらっしゃる旦那の方々達の足元をヨシノヤさんが飾ってきたっていう歴史があるわけですね。 もちろん政治家はそうですし、言っていいかどうかはあれですけど、皇室もそうでしょうし。 そういう意味での銀座のブランド、銀座の靴という物の形を作ってこられたのがヨシノヤさんということですね。
宮崎 今では銀座にある靴屋の中では一番古く、日本の靴の中で多分一番高級な靴を取り扱っていると思います。 それにプラスして、イージーオーダーや紳士靴の場合は靴型から作るんですけど、フルオーダーまでやってますので、そういった意味では一番ちゃんとした靴屋なのかなと。
土居 今の僕らがやってるような雑誌なんかでは、もちろんヨシノヤさんの記事もやった事はありますけども、その普通の記事をやって行くにあたっては、まずブランドが立つじゃないですか。 海外のブランドもたくさんあって。 そのブランドのシューズっていうのが、みんなそのピンポイントでこのブランドの靴が欲しいっていう、どの靴が欲しいって靴を買って、みんな今靴を履いてるっていう中で、ヨシノヤさんの場合はオリジナルじゃないですか。 また、オリジナルであると同時に、いわゆるビスポークに近い手作りっていうのが一つの大きな魅力だと思うんですけれども、この手作りっていうのは創業当時から変わらないことなんでしょうか。
宮崎 昔は機械の方がむしろ少なく、手作りの方が多かったというのはありますね。 機械で作っている靴ももちろんありましたけど、創業者が「オーダーに負けない既製品作り」に執着していたので、手作りでオーダー靴に負けないような既製品というのを一生懸命作ってたという歴史があります。(注:熟練の手仕事で作られた既製品で、オーダー靴に負けない履き心地を追求していた。)
土居 手作りをしながら、オーダー品に負けないと。
宮崎 普通の既製品なんですけど、履き心地のレベルはオーダー靴に近いような靴を目指してたんだと思います。 創業者は靴職人ではなく、靴の目利きができる番頭だったということもあって、オーダーで靴を作るのではなく、既製品扱うところからスタートしています。 既製品を扱うということは、常に足に合う合わないという問題があり「どうやったら足に合うのだろう、どういう靴にしたら足に合うんだろう」と創業以来ずっと考え続けていたそうです。 そこからヨシノヤの履き心地というものをずっと追求し始めるきっかけになったんじゃないかと思います。 おそらく創業者が靴職人だったら、ここまで履き心地を追求してなかったのかもしれないですね。
土居 それはちょっと面白いことですね。
宮崎 靴職人じゃなかったっていうコンプレックスみたいなのがひょっとしたらあったようで、負けないぞみたいな。
土居 でも、本質を探求する形としては正しかった訳ですね。
宮崎 そうですね。その心意気は現在も、正しい靴作りから、どういう風にしたら靴が履きやすくなるのかという事と、どうやって足合わせを行ったらいいのかという事を、ずっと追求し続けてきています。 正しい靴作りと、きちんとした足合わせという2つがあって、今の銀座ヨシノヤがあるのかなと感じています。
土居 なるほど。ということは、銀座に通う紳士たちはヨシノヤで靴を作るっていうのは、単にブランドのどの靴を買うというような靴の買い方ではなくて、自分の足に合った靴をどうオーダーしてもらうかっていうようなスタンスっていうのが文化としてあるわけですね。
宮崎 そんな感じのお客様は多いですね。 今もよくあるのは、なんというか、 靴職人の腕を試すというのではないと思うんですけど、こんなことってオーダーでできますか?と色々と尋ねられるお客様がいらっしゃいます。 それに対して、うちの職人に確認すると、それならばこうできますと返ってくる。 結局お客様から言われたことはほぼほぼ形にはできてるので、本当にお客さんと職人が戦ってるっという感じです。 戦いながらいいものを作り上げていってるみたいな感じがあります。
土居 いいですね。何か今のお話でちょっと思い出したんですけど。 ヨーロッパって王侯貴族がいるじゃないですか。ヨーロッパで発祥しているブランドの多くが、 その王侯貴族がパトロネージュしてパトロンとなってブランドを育てていったっていう話があるんですよね。 しかし江戸時代の日本は王侯貴族の時代ではなかった。じゃあ武士かといったら武士はそんなに裕福ではなかった。 武士より豊かだった人は誰かと言ったら、これは商人だったわけです。 日本の職人を育てたのは、ヨーロッパが職人を育てのるが王侯貴族だったのに対して、日本はやっぱり町場の旦那衆が日本の職人を育てていたのではないか。 で、たとえば根付(ねつけ:煙草入れの飾り)の職人に「こういう柄模様の根付お前さん作れるかい」みたいな。 そういう風に言われたら、職人もカチンときて「じゃぁ、作ってやろうじゃねぇか!」っていうやりとりがあったかもしれない。 ここは想像ですよ。僕は江戸時代に生きていたわけじゃないから分からないけれども、 でもそうやってやっぱりいいものがどんどんできてきたっていうのは間違いないことだと思うんですよ。
宮崎 何かその感じに近い形ですね。
土居 だから日本は昔から江戸の時代から、町場の旦那衆がそういうことやっていた。だから今のお客さんたちの中にも旦那気質を持つ人がいて、それをヨーロッパに置き換えたら、パトロンになるわけです。 だから、そういう関係性がこのヨシノヤさんという靴のこの売り場で残っているっていうのは、とても素敵な状況なんじゃないかなという。
宮崎 普段店頭に立ってる時はそこまであまり気にしてなかったんですけど、改めて考えるとすごいことですよね。
土居 でも、やっぱりそうやって職人さんを試すような。こうまあ無理難題といってはあれだけど。 でもやっぱりそれは自分の好みがあるわけですから、その好みにどれだけ近づいてくれるか、それを実現してくれるかということになるわけですよね。
宮崎 はい。本当にうちの職人たちはすごいので、大体全部やってしまうというか、できちゃうっていうかすごいんですよね。 ヨシノヤがすごいのか、職人がすごいのか。
土居 どちらもすごいんですけど、ということですよ。 まあ、そういう何とかお客さんのニーズに沿った靴をハンドで作っていくと。 同時にそう、やっぱり決して安い靴じゃないですから長く履くわけじゃないですか。 そうすると必然的にリペアっていうのも生まれてくると思うんですけど、リペアもやっぱり。
宮崎 修理もやってますね。 靴を作った靴職人たちが直接修理もやりますので、修理の質が高いんですよね。 最近感じるのは、修理というよりも修復をやってるみたいな感じの仕事だと思うんですよ。 かかとのゴムさえお取り換えすればいいんでしょうみたいな感じとは違い、その前にやる段取りから何から本当に新しい靴に作り替えるぐらいの感じで、本当に価格以上のことを職人たちはやってくるんです。 ほんとに職人の仕事ってなんかすごいなとつくづく思います。
土居 お客様の満足度は高いですよね。
宮崎 そうですね。靴を作る腕が高い人たちは、修理をやっても、やっぱりものすごい仕事をしてきますね。
土居 ヨシノヤさんのホームページを見て、それからヨシノヤさんのことを取材したメディアの記事とか情報をお聞きしても、なかなかそういう話はないと思うんで、
何かお客さんの仮にその修理を出されて何かいい話って何かないですか。
宮崎 そうですね。お客様がダメもとで修理に持ってこられた靴があって、私が見てもさすがに修理できないかもしれないと思いながらも、お預かりしました。 すると、職人に回したら何も言わずに綺麗に修理されて戻ってきたことがありました。 普通に考えたらまあ、できないだろうっていう修理をしてくるんです。 職人に後から聞いたんですが、修理に出すということは、その方はその靴をまだ履きたいと考えてるんだろう、だったら修理をしようと。
土居 心意気ですね。
宮崎 はい、心意気がすごいんですよ。びっくりするぐらい。 修理できないと思ってた靴が修理されて返ってきたことは、本当に1回や2回じゃないんですよね。 我々も昔はこれは駄目ですよ。みたいなことを言ってた修理も、今ではこれとりあえず出しましょうかって、ひょっとしたら修理できるかもしれないですよみたいな感じになっています。
土居 それじゃ宮崎さんの方も職人さんの腕がもうわかってるから。普通は駄目だけども、もしかしたら、ヨシノヤの職人なら何とかしてくれるんじゃないかっていう、その判断がもうあるわけですよね。
宮崎 自分たちの判断よりもすごいことやっちゃうっていう感じなので、最近は自分たちで判断しない方がいいのかなって思っています。 職人さんに投げちゃうと修理してくれちゃうっていう、ああ、返ってきたみたいな感じです。
土居 ということは、やっぱりその、銀座で靴を買うっていうのは、そういう後の修理というか、 保証というか、そういうものも含めた一つのシステムを買うっていうことになっていくわけですかね。
宮崎 ですね。ヨシノヤは本当に生真面目な会社なので、売ったら終わりじゃないんですよね。 靴の調整とか幅伸ばしだとか、お手入れだとか修理とか、買っていただいた時からお客様とのお付き合いがスタートしていくみたいな感じです。 そういったアフターフォローもコミコミでの価格になってると考えると、むしろお買い得なのかもしれません。
土居 またこの後、その細かい職人さんの技みたいなことも聞きたいと思いますけども。 まあ、その銀座で靴を買うような意味合いっていうのがですね、はい、何となくちょっと今日のお話で感じることができました。 ありがとうございます。
銀座ヨシノヤで靴を
ご購入いただいたそのときから、
お客様との長いお付き合いが
スタートするのです。
知る人ぞ知る紳士靴の名靴「銀座ヨシノヤ」。その魅力を探るべく、雑誌monoマガジンで40年以上編集に携わってきた編集者が、紳士靴のフロアリーダー、宮崎亨氏を訪ねた。
創業の歴史から銀座のカルチャー、そしてほんとうにいい靴の定義とは何かをその対話の中から探っていく。銀座の洒落者たちが愛した、オーダーを超える極上の履き心地。銀座ヨシノヤのハンドメイド靴には創業115年、老舗の矜持が詰まっていた。
土居 輝彦
teruhiko doi
1984年よりmonoマガジン編集長 2004年より同誌編集局長 2017年より同誌編集ディレクター その間、数々の雑誌を創刊。 その間、数々の雑誌を創刊。 執筆・講演活動、各自治体のアドバイザーなどを兼任。 主な著書:「機能する道具、傑作品」(グリーンアロー社刊)、「築35年古家再生」(WPP刊)など
宮崎 亨
toru miyazaki
銀座六丁目本店紳士フロアマネージャー/1998年入社後、店舗勤務~紳士靴商品企画を経て2014年より現職。 社内シューフィッター資格を保有。丁寧な足型計測により、足のサイズ・特徴を的確に捉えたフィッティング技術に定評。 お客様に寄り添った接客や親しみやすい人柄にファンも多い。
土居輝彦(以下土居) ヨシノヤさんの中に入ったのは、僕は今日初めてなんですけれども。 銀座にこう来る機会っていうのも昔ほどはなくなってきて、住んでいるところからちょっと遠いっていうのもあるんですけれども。 でもやっぱりこう久々に来ても、銀座はやっぱり銀座だなっていうものがあって、雰囲気もあって。 今日この4丁目の角からヨシノヤさんの前まで歩いてくる中で、まだまだ残っている銀座の老舗というんですかね、 そういうものの中の一つがやっぱりヨシノヤさんっていうことは言えると思うんですけれども。 ヨシノヤさんは創業されて今もう何年ぐらいになるんですか?
宮崎亨(以下宮崎) 1907年に創業してますので、今年で115年になります。 明治40年ですね。
土居 明治40年って具体的にピンとこないですね。 その時代に僕は生きてなかったので分からないんですけども。 まあそう考えても要するに日本が文明開化して、それで洋服着るものが洋装に変わってきて。
宮崎 そうですね。そのころ日本は結構元気で、日清戦争日露戦争をやっていました。 そして、日露戦争が終了したのが1907年です。 その後、ロシアから賠償金を取れなくて、戦後不況に陥ってしまったと。 明治維新以降、日本が一生懸命急成長してきたところに、2回目のブレーキがかかった時期っていうそんな感じだと思いますね。
土居 ということは、需要としては普通の人が洋装をしていく中で履く靴っていうのもあったけども、それより以前に軍隊用の靴があったのかなというか。
宮崎 はい、最初は政治家や、軍人の偉い方々とか、いわゆるエリートと言われる方々しかまだ靴を履いていない、そんな時代だったんですね。
土居 宮崎さんお詳しいですね。 なるほどじゃあそういう中でヨシノヤさんが創業されて、 ヨシノヤさんというと何となくこうイメージとして婦人靴というイメージがあるんですけれども、最初から婦人靴というわけではなかったんですか?
宮崎 最初は紳士靴、子供靴の販売からスタートしています。
土居 最初は紳士靴からスタートされたわけですね。
宮崎 そうなんです。 現在の販売シェアは9割以上が婦人靴なので「紳士靴も取り扱ってるのね」と言われることがよくあります。 そのたびに、実は115年前に紳士靴から創業したんですとお話ししています。
土居 そういう風に考えていくと、銀座の靴屋さんとしては一番古い部類になるんですか。
宮崎 そうですね。かなり古い部類に入ると思います。
土居 ということは、銀座で他の業態をもっていらっしゃる旦那の方々達の足元をヨシノヤさんが飾ってきたっていう歴史があるわけですね。 もちろん政治家はそうですし、言っていいかどうかはあれですけど、皇室もそうでしょうし。 そういう意味での銀座のブランド、銀座の靴という物の形を作ってこられたのがヨシノヤさんということですね。
宮崎 今では銀座にある靴屋の中では一番古く、日本の靴の中で多分一番高級な靴を取り扱っていると思います。 それにプラスして、イージーオーダーや紳士靴の場合は靴型から作るんですけど、フルオーダーまでやってますので、そういった意味では一番ちゃんとした靴屋なのかなと。
土居 今の僕らがやってるような雑誌なんかでは、もちろんヨシノヤさんの記事もやった事はありますけども、その普通の記事をやって行くにあたっては、まずブランドが立つじゃないですか。 海外のブランドもたくさんあって。 そのブランドのシューズっていうのが、みんなそのピンポイントでこのブランドの靴が欲しいっていう、どの靴が欲しいって靴を買って、みんな今靴を履いてるっていう中で、ヨシノヤさんの場合はオリジナルじゃないですか。 また、オリジナルであると同時に、いわゆるビスポークに近い手作りっていうのが一つの大きな魅力だと思うんですけれども、この手作りっていうのは創業当時から変わらないことなんでしょうか。
宮崎 昔は機械の方がむしろ少なく、手作りの方が多かったというのはありますね。 機械で作っている靴ももちろんありましたけど、創業者が「オーダーに負けない既製品作り」に執着していたので、手作りでオーダー靴に負けないような既製品というのを一生懸命作ってたという歴史があります。(注:熟練の手仕事で作られた既製品で、オーダー靴に負けない履き心地を追求していた。)
土居 手作りをしながら、オーダー品に負けないと。
宮崎 普通の既製品なんですけど、履き心地のレベルはオーダー靴に近いような靴を目指してたんだと思います。 創業者は靴職人ではなく、靴の目利きができる番頭だったということもあって、オーダーで靴を作るのではなく、既製品扱うところからスタートしています。 既製品を扱うということは、常に足に合う合わないという問題があり「どうやったら足に合うのだろう、どういう靴にしたら足に合うんだろう」と創業以来ずっと考え続けていたそうです。 そこからヨシノヤの履き心地というものをずっと追求し始めるきっかけになったんじゃないかと思います。 おそらく創業者が靴職人だったら、ここまで履き心地を追求してなかったのかもしれないですね。
土居 それはちょっと面白いことですね。
宮崎 靴職人じゃなかったっていうコンプレックスみたいなのがひょっとしたらあったようで、負けないぞみたいな。
土居 でも、本質を探求する形としては正しかった訳ですね。
宮崎 そうですね。その心意気は現在も、正しい靴作りから、どういう風にしたら靴が履きやすくなるのかという事と、どうやって足合わせを行ったらいいのかという事を、ずっと追求し続けてきています。 正しい靴作りと、きちんとした足合わせという2つがあって、今の銀座ヨシノヤがあるのかなと感じています。
土居 なるほど。ということは、銀座に通う紳士たちはヨシノヤで靴を作るっていうのは、単にブランドのどの靴を買うというような靴の買い方ではなくて、自分の足に合った靴をどうオーダーしてもらうかっていうようなスタンスっていうのが文化としてあるわけですね。
宮崎 そんな感じのお客様は多いですね。 今もよくあるのは、なんというか、 靴職人の腕を試すというのではないと思うんですけど、こんなことってオーダーでできますか?と色々と尋ねられるお客様がいらっしゃいます。 それに対して、うちの職人に確認すると、それならばこうできますと返ってくる。 結局お客様から言われたことはほぼほぼ形にはできてるので、本当にお客さんと職人が戦ってるっという感じです。 戦いながらいいものを作り上げていってるみたいな感じがあります。
土居 いいですね。何か今のお話でちょっと思い出したんですけど。 ヨーロッパって王侯貴族がいるじゃないですか。ヨーロッパで発祥しているブランドの多くが、 その王侯貴族がパトロネージュしてパトロンとなってブランドを育てていったっていう話があるんですよね。 しかし江戸時代の日本は王侯貴族の時代ではなかった。じゃあ武士かといったら武士はそんなに裕福ではなかった。 武士より豊かだった人は誰かと言ったら、これは商人だったわけです。 日本の職人を育てたのは、ヨーロッパが職人を育てのるが王侯貴族だったのに対して、日本はやっぱり町場の旦那衆が日本の職人を育てていたのではないか。 で、たとえば根付(ねつけ:煙草入れの飾り)の職人に「こういう柄模様の根付お前さん作れるかい」みたいな。 そういう風に言われたら、職人もカチンときて「じゃぁ、作ってやろうじゃねぇか!」っていうやりとりがあったかもしれない。 ここは想像ですよ。僕は江戸時代に生きていたわけじゃないから分からないけれども、 でもそうやってやっぱりいいものがどんどんできてきたっていうのは間違いないことだと思うんですよ。
宮崎 何かその感じに近い形ですね。
土居 だから日本は昔から江戸の時代から、町場の旦那衆がそういうことやっていた。だから今のお客さんたちの中にも旦那気質を持つ人がいて、それをヨーロッパに置き換えたら、パトロンになるわけです。 だから、そういう関係性がこのヨシノヤさんという靴のこの売り場で残っているっていうのは、とても素敵な状況なんじゃないかなという。
宮崎 普段店頭に立ってる時はそこまであまり気にしてなかったんですけど、改めて考えるとすごいことですよね。
土居 でも、やっぱりそうやって職人さんを試すような。こうまあ無理難題といってはあれだけど。 でもやっぱりそれは自分の好みがあるわけですから、その好みにどれだけ近づいてくれるか、それを実現してくれるかということになるわけですよね。
宮崎 はい。本当にうちの職人たちはすごいので、大体全部やってしまうというか、できちゃうっていうかすごいんですよね。 ヨシノヤがすごいのか、職人がすごいのか。
土居 どちらもすごいんですけど、ということですよ。 まあ、そういう何とかお客さんのニーズに沿った靴をハンドで作っていくと。 同時にそう、やっぱり決して安い靴じゃないですから長く履くわけじゃないですか。 そうすると必然的にリペアっていうのも生まれてくると思うんですけど、リペアもやっぱり。
宮崎 修理もやってますね。 靴を作った靴職人たちが直接修理もやりますので、修理の質が高いんですよね。 最近感じるのは、修理というよりも修復をやってるみたいな感じの仕事だと思うんですよ。 かかとのゴムさえお取り換えすればいいんでしょうみたいな感じとは違い、その前にやる段取りから何から本当に新しい靴に作り替えるぐらいの感じで、本当に価格以上のことを職人たちはやってくるんです。 ほんとに職人の仕事ってなんかすごいなとつくづく思います。
土居 お客様の満足度は高いですよね。
宮崎 そうですね。靴を作る腕が高い人たちは、修理をやっても、やっぱりものすごい仕事をしてきますね。
土居 ヨシノヤさんのホームページを見て、それからヨシノヤさんのことを取材したメディアの記事とか情報をお聞きしても、なかなかそういう話はないと思うんで、
何かお客さんの仮にその修理を出されて何かいい話って何かないですか。
宮崎 そうですね。お客様がダメもとで修理に持ってこられた靴があって、私が見てもさすがに修理できないかもしれないと思いながらも、お預かりしました。 すると、職人に回したら何も言わずに綺麗に修理されて戻ってきたことがありました。 普通に考えたらまあ、できないだろうっていう修理をしてくるんです。 職人に後から聞いたんですが、修理に出すということは、その方はその靴をまだ履きたいと考えてるんだろう、だったら修理をしようと。
土居 心意気ですね。
宮崎 はい、心意気がすごいんですよ。びっくりするぐらい。 修理できないと思ってた靴が修理されて返ってきたことは、本当に1回や2回じゃないんですよね。 我々も昔はこれは駄目ですよ。みたいなことを言ってた修理も、今ではこれとりあえず出しましょうかって、ひょっとしたら修理できるかもしれないですよみたいな感じになっています。
土居 それじゃ宮崎さんの方も職人さんの腕がもうわかってるから。普通は駄目だけども、もしかしたら、ヨシノヤの職人なら何とかしてくれるんじゃないかっていう、その判断がもうあるわけですよね。
宮崎 自分たちの判断よりもすごいことやっちゃうっていう感じなので、最近は自分たちで判断しない方がいいのかなって思っています。 職人さんに投げちゃうと修理してくれちゃうっていう、ああ、返ってきたみたいな感じです。
土居 ということは、やっぱりその、銀座で靴を買うっていうのは、そういう後の修理というか、 保証というか、そういうものも含めた一つのシステムを買うっていうことになっていくわけですかね。
宮崎 ですね。ヨシノヤは本当に生真面目な会社なので、売ったら終わりじゃないんですよね。 靴の調整とか幅伸ばしだとか、お手入れだとか修理とか、買っていただいた時からお客様とのお付き合いがスタートしていくみたいな感じです。 そういったアフターフォローもコミコミでの価格になってると考えると、むしろお買い得なのかもしれません。
土居 またこの後、その細かい職人さんの技みたいなことも聞きたいと思いますけども。 まあ、その銀座で靴を買うような意味合いっていうのがですね、はい、何となくちょっと今日のお話で感じることができました。 ありがとうございます。
国内最高峰の職人の手仕事から生まれる
究極の美しさと極上のフィット感
国内外から高い評価を受ける銀座ヨシノヤのメンズプレステージ。
創業より追求し続けている、美しいフォルムと足に吸い付くようなフィット感は、
最高の素材と、職人の巧みな手仕事により完成します。
cap toe
ストレートチップ
九分半仕立て。素材の繊細さとシェイプの美しさ、履き心地が高次元で融合する、珠玉の一足。
side gore
サイドゴアブーツ
ベビーカーフの九分半仕立て。素材、シルエット、仕立て、そのすべてで美しさが調和する一足。
outer feather
外羽根モカ
ソール前半部にゴムソールを装着した外羽根モカスタイル。クオリティと耐久性に優れた一足。
full brogue
内羽根フルブローグ
レイジーマンスタイル。小穴のパーフォレーションを施し、ボリューム感と上品さが調和するスタイル。
whole cut
ホールカット
贅沢な九分半仕立て。アデレード型のステッチとパーフォレーションを設けたホールカットスタイル。
monk strap
モンクストラップ
内羽根のサイドモンクストラップにパンチドキャップを設けた、シャープな印象のドレスシューズ。
国内最高峰の職人の手仕事から生まれる
究極の美しさと極上のフィット感
国内外から高い評価を受ける銀座ヨシノヤのメンズプレステージ。
創業より追求し続けている、美しいフォルムと足に吸い付くようなフィット感は、
最高の素材と、職人の巧みな手仕事により完成します。
cap toe
ストレートチップ
九分半仕立て。素材の繊細さとシェイプの美しさ、履き心地が高次元で融合する、珠玉の一足。
side gore
サイドゴアブーツ
ベビーカーフの九分半仕立て。素材、シルエット、仕立て、そのすべてで美しさが調和する一足。
outer feather
外羽根モカ
ソール前半部にゴムソールを装着した外羽根モカスタイル。クオリティと耐久性に優れた一足。
full brogue
内羽根フルブローグ
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whole cut
ホールカット
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monk strap
モンクストラップ
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国内最高峰の職人の手仕事から生まれる
究極の美しさと極上のフィット感
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創業より追求し続けている、美しいフォルムと足に吸い付くようなフィット感は、
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side gore
サイドゴアブーツ
ベビーカーフの九分半仕立て。素材、シルエット、仕立て、そのすべてで美しさが調和する一足。
outer feather
外羽根モカ
ソール前半部にゴムソールを装着した外羽根モカスタイル。クオリティと耐久性に優れた一足。
full brogue
内羽根フルブローグ
ベビーカーフの九分半仕立て。素材、シルエット、仕立て、そのすべてで美しさが調和する一足。
whole cut
ホールカット
贅沢な九分半仕立て。アデレード型のステッチとパーフォレーションを設けたホールカットスタイル。
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モンクストラップ
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国内最高峰の職人の
手仕事から生まれる
究極の美しさと
極上のフィット感
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創業より追求し続けている、美しいフォルムと足に吸い付くようなフィット感は、
最高の素材と、職人の巧みな手仕事により完成します。
cap toe
ストレートチップ
九分半仕立て。素材の繊細さとシェイプの美しさ、履き心地が高次元で融合する、珠玉の一足。
side gore
サイドゴアブーツ
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外羽根モカ
ソール前半部にゴムソールを装着した外羽根モカスタイル。クオリティと耐久性に優れた一足。
full brogue
内羽根フルブローグ
ベビーカーフの九分半仕立て。素材、シルエット、仕立て、そのすべてで美しさが調和する一足。
whole cut
ホールカット
贅沢な九分半仕立て。アデレード型のステッチとパーフォレーションを設けたホールカットスタイル。
monk strap
モンクストラップ
内羽根のサイドモンクストラップにパンチドキャップを設けた、シャープな印象のドレスシューズ。
お買い上げ後のメンテナンスについて
銀座ヨシノヤではお求めいただいた製品を末永くきれいにご使用いただく為、 店頭にてお持ちのお靴の無料お手入れサービスを承っております。 また、ご愛用の製品を末永くご利用いただくため、全国の直営店にて純正パー ツにこだわった修理サービスを承っております。 詳しくは、銀座ヨシノヤのWEBサイトをご覧ください。